行程 | リバティおおさか⇒御幸森天神宮⇒つるの橋跡⇒平野川⇒大阪朝鮮第初級学校 |
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【概要】
「人権教育ひょうご」は2012年10月13日に、「スタディツアーinおおさか」を開催し、構成各団体、個人から40人が参加しました。
午前中はリバティおおさか(大阪人権博物館)を見学しました。「リバティおおさか」は1985年に開館。被差別部落、子ども、アイヌ、沖縄、女性、在日コリアン、高齢者、障害者、セクシュアル・マイノリティ、HIV、ハンセン病問題ほか、広範な人権の諸課題を正面から取りあげ、その解決をめざす全国で唯一の総合博物館。入館者はすでにのべ140万人をこえ、国内はもとより、世界から注目されてきた施設ですが、大阪市・大阪府の補助金打ち切りによって、館の存続が危ぶまれています。現在、「リバティおおさかの存続を求める全国ネットワーク」が設立され、自主運営を目指し、サポーターが募集されています。訪れたこの日は、福島第一原発作業員の特別展「Beyond
Fukushima」などを見学しました。
午後からは生野コリアンタウンに移動。プルコギ(韓国風すきやき)の昼食を参加者全員で摂ったあと、2班に分かれ、KEY(コリアン青年連合)の姜晃範さん、康利行さんをコーディネーターに、百済からの渡来人が多く住み、仁徳天皇が度々訪れていたとされる「御幸森神社」や、鶴橋という地名の語源といわれる「つるの橋跡」、改修工事に多くの在日コリアンが従事した「平野川」、大阪朝鮮第四初級学校などを訪ね、領土問題などで緊張感の高まっている今だからこそ、歴史と現在をたえず見つめながら、相互理解を深めることが重要だと確認しました。
■御幸森天神宮
古代の猪甘津と呼ばれる港があったとされる場所。 この地域には百済からの渡来人が多く住んでおり、仁徳天皇が度々訪れていたとされる。 2009年、境内内に難波津の歌「難波津に咲くやこの花冬籠り いまは春べと咲くやこの花」の歌碑が建立された。
この歌碑には、対馬藩の通訳官だった雲明が残したハングルによる難波津の歌も刻まれている。
■つるの橋跡
『日本書紀』仁徳天皇14年の条に、猪甘津(いかいのつ)に小橋(おはし)を作った記事が見える。記録に残る日本最古の橋で、それは平野川(旧大和川)に架けられたものである。名の由来は、鶴が多く集まっていたからとも言われた。また、「津の橋」がなまったからとも言われている。明治7年、平野川浚渫のとき木橋から石橋に架け替えられた。そのときの親柱を記念に残し大きな橋跡の碑が建てられた。
■平野川
蛇行していた旧平野川を現在のようにまっすぐに付け替える改修工事(大正8年(1919)に始まる「鶴橋耕地整理」に伴う平野川付け替え工事)に多くの在日コリアンが労働力として集められた。この工事をきっかけにこの地域に住む在日コリアンの人口が急増した。
■大阪朝鮮第4初級学校
1946年、前身である「生野第10ウリハッキョ」が創立され、1947年木造校舎建設(御幸森朝鮮小学校)。 1949年、「朝鮮学校閉鎖令」が発令され、学校閉鎖を余儀なくされるが、1954年「大阪御幸森朝鮮小学校」を再建(後に「大阪御幸森朝鮮初級学校」)。1961年、校名が「東大阪朝鮮第4初級学校」となる。1991年、校名が「大阪朝鮮第4初級学校」となり現在に至る。
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